自動車製造関連年表 1960年-1969年

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--1960年代--

名神・東名高速道路開通、鈴鹿・富士・筑波とレース場が開業、国内でのモータリゼーションの幕開け、暴走族も出現、マツダ、三菱、ホンダ、ダイハツと軽四輪乗用自動車が発売


1960年頃 シーサイドモーター 横浜・元町に輸入中古車ディーラーとして開業 1974年にはランボルギーニ、マセラティの日本総代理店

1960年 R360クーペ発売 マツダの軽四輪乗用自動車でクーペ コスモREスポーツが発売された時にR360が大人になったかと思った リアエンジ・ンリア駆動、空冷エンジン

1961年 岩戸景気終焉(バブル崩壊) 1958年(昭和33年)7月~1961年(昭和36年)12月まで42か月間続いた高度経済成長時代の好景気の岩戸景気が終焉を告げ、株式相場が7月をピークに下げに転じた。この証券不況で投信解約や手数料収入の低下により山一の経営悪化、1962年の昭和37年不況を経て1965年に景気回復し、いざなぎ景気時期へ

1961年 パブリカUP10発売 4サイクル空冷水平対向2気筒エンジン 排気量発売当時は700cc後に800cc フロントエンジン・リア駆動車 長さ3.580×幅1.415 現行軽自動車長さ3.395×幅1.475と普通自動車なのに小さかった、室内は現在の軽自動車より狭い
このパブリカには豊富なバリエーション(当時は他の車種でも多かった)が有り特にバリーエーションではないがパブリカをベースに現在旧車人気のS800も作られた、2代目パブリカにはパブリカ・スターレットのクーペが登場その後スターレットとして独立、パブリカの名前は消えたが系譜は型式にローマ字のPが入る現在はヴィッツとアクア等と想像しています、パブリカは国産自動車の一つの時代を築いた車に間違いない

1962年 ビートルズ登場

1962年 BMW モノコック・ボディー小型乗用車1500を発売

1962年 「オースチン・ミニ・クーパー」「モーリス・ミニ・クーパー」販売 997cc SUツインキャブレーター フロントディスク・ブレーキ採用

1962年 ミニカ発売 軽四輪乗用自動車車 三菱ミニカ 

1962年 キャロル発売 軽四輪乗用自動車 マツダ・キャロル  リアエンジ・ンリア駆動、水冷4気筒4サイクルエンジン 軽自動車初の4ドアと画期的で乗り心地と静観性は良かったがボディ重量のせいか鈍足を誇った

1962年 フェアレディ1500(SP310)1962年10月発表 直列4気筒 G型エンジン(71馬力/5,000rpm)を搭載 後部座席は左側に横向き3シート、1965年にSP311 1600cc 2シーター 1967年にはSR311発売、OHC2000ccエンジン・ソレックス、ポルシェシンクロ5速ミッションを発売、中古車で購入しリッター4kmも気にせずに1年程乗っていました

1962年 昭和37年不況

1963年 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング設立 (1970年前半国内レースでミノルタ・マクラーレンが活躍、マクラーレンも日本のレース会を古くから盛り上げたレーシングカー)

1963年 410型ブルーバード発売 1963年9月 – 発売 1964年3月 – 1200SS(スポーツセダン)」を追加。E型1.2LにSUツインキャブ65馬力のエンジン搭載、4速フロアシフト、エンジン回転計のタコメーターは付いていなかった

1963年 アウトモビリ・ランボルギーニSPAを設立 自動車の製造販売

1963年 第一回日本グランプリ 鈴鹿サーキット 優勝自動車 ロータス23 コスワース

1963年 名神高速道路開通

1963年 ホンダT360 S500 発売 エンジンは国産販売車両として初のDOHCエンジン搭載

1964年 日本共同証券 1964年1月20日に資本金25億円で発足した株式棚上げ機関、証券不況で供給過剰だった株式を買い上げるために設立された

1964年 東京オリンピック開催 オリンピックに合わせ首都高速道路開業、東海道新幹線開業

1964年 ホンダ F1 参戦

1964年 ポルシェ911 登場

1964年 フォード・マスタング登場


1964年 ホンダS600 発売

1964年 ベレットGT 発売

1964年 S54型 スカイラインGT 発売 大ヒット曲「魅せられて」を歌った有名女優のジュディ・オングさんが乗っていたという赤のS54Bをマツダディーラー中古車センターで見たことがあるコスモR/Eスポーツにでも乗り換えたのかも、しかし当時のGT-Bはパワステがない超重ステでクラッチも重かった、ジュディ・オングさんの年齢を考えると18才で免許取得でS54Bの最終が1968年ではなにか勘定が合わないのでジュディ・オングさんの家族の車で少しは運転したかも、当時ジュディ・オングさんはA級ライセンスを持っていたとか噂になるほど自動車の運転が好きな方だったようです

1965年 コロナ1600S 1964年より販売されていた40型コロナに1965年4月にSタイプ登場 OHV1,587cc・SUツインキャブレター・90馬力 フロア4速ミッション、Fディスクブレーキ(マスタ-・バックが無かったので低速時は効きが悪かった)

1965年 トヨタS800 1965年5月発売

1965年 ブルーバードがマイナーチェンジで411型へ 1965年5月 – マイナーチェンジで411型となった。また、1200ccモデルは1300ccJ型62馬力に変更となり、電装系をマイナスアースに変更。1300バンを追加。同時に「1600SSS」を追加。SUツインキャブ付き1.6L R型90馬力のエンジン、ポルシェシンクロのフロア4速ミッション搭載、エンジン回転計タコメーターも装着、ネジはまだインチサイズを使用
これで公道レースを行いたくなるような日本の役車が揃ったという感じです

1965年 船橋サーキット開設 1965年7月 全日本自動車クラブ選手権[開催

1965年 映画「エレキの若大将」 エレキ・ブームの最中に作られた加山雄三氏主演の映画「若大将シリーズ」の1本

1965年 ベトナム戦争 アメリカ参戦 後にアメリカでの反戦運動 フラーワー・ムーブメント、ヒッピー、LSDドラッグ等が若者に浸透、日本はベ平連、フーテン、過激派等を生み出して行く

1965年 自動車輸入自由化 コンピュター関連は1970年に自由化

1966年頃 1961年頃の本牧で「ナポレオン党」なる集団が本牧結成され、メンバーの一人がトヨタS800を購入したのをきっかけに他のメンバーも車を購入したり車を持っている友人を誘ったりして1966年には本牧、山下公園、伊勢佐木町周辺を集団で車を乗り回し朝比奈峠で公道レースを行っていた、当時は暴走族という言葉はなく「不良グループ」、リーダーの小金丸峰夫氏はロータス・ヨーロッパを所有し他の方も車を持っていたのでリッチな方々の集まりだったのでしょう当時は車を持つのは大変な事でした、更に芸能人でハワイアンキルトの第一人者でもあるキャッシー中島さんは「クレオパトラ党」を結成していたと自叙伝や舞台化した「横浜グラフティ」で紹介されています、ナポレオン党・クレオパトラ党の溜り場はビート・タケシ氏が入口まで行って、とにかくおっかなくて店には入れなかったというアメリカ兵の溜り場でもあった本牧の「ゴールデンカップ」この店はゴールデン・カップスや矢沢永吉氏が世にでる前に出演していた伝説のディスコ(いまでいうクラブ)、キャッシー中島さん曰く「音楽」「ファッション」「ダンスのステップ」も本牧が流行の先端だったと語っていますが若者の4輪自動車文化の流行も本牧とは驚きです
ただ1995年頃からカミナリ族と呼ばれる若者がオートバイで走り回っていたがこれはオートバイが中心で速さを競っていた「走り屋」集団
多摩地区のオートバイのカミナリ族に後の大レーサーとなる若者がいて甲州街道、調布~新宿往復の公道レースで見物人がタバコを1本吸い終える前に調布に戻ってきたという伝説が有ります

1965年 いざなぎ景気 11月から1970年(昭和45年)7月までの57か月間続いた高度経済成長時代の好景気の通称、翌年1966年建設国債発行、公共施設の建設為の国債、箱物行政の始まり?

1966年 映画「グランプリ」 F1グランプリをモチーフにした映画 本田宗一郎を思わせるチームオーナー役を三船敏郎が演じている

1966年 富士スピードウェイ・オープン インディ200マイルレース開催(海外選手のみで日本人選手は参加なし) 優勝者:ジャッキー・スチュアート氏、他にはグラハム・ヒル氏、ジム・クラーク氏(予選エンジントラブルで決勝欠場)、マリオ・アンドレティ(予選ミッショントラブルで決勝欠場)氏、アンサー兄弟と超豪華メンバー、ビートルズ日本公演もこの年、イギリス人、7人が日本で注目された、
インディ200マイルレースとビートルズ日本公演はどちらの注目度が凄かったか考えると、話題として報道が圧倒的にビートルズ日本公演だと思うが、インディ200マイルレースへの関心は年齢の幅が広いので注目度は同じかインディ200マイルが上、レースは女性ファンが少ないからビートルズ日本公演か真実は遠い過去

1966年 ホンダ S800 発売

1966年 ラジアルタイヤ生産開始

1966年 フェロー発売 ダイハツの軽四輪乗用自動車 水冷エンジン、フロントエンジン・リアドライブ、コラムシフト

1966年 サニー 4月23日発売されたがミッションはコラムシフト、後にスポーツやクーペ発売しフロア4速だがツインキャブレーター設定車はなかった不思議なB10型車だった、初代カローラはSLなるツインキャブレーター車が有った

1966年 カローラ 発売 デファレンシャル・ギアのバックラッシュ音とトランス・ミッションシフト時のギア鳴りが多かった、この頃のカローラは現在のようにカローラは故障は殆ど皆無で最高と呼べるような車ではなかったが80点主義のトヨタで売れました「技術の日産、販売力のトヨタ」「新車はトヨタ、中古車は日産」ともいわれ日産車の方が故障も少なく耐久性が勝っていた時代もありました、またカローラ発売でカローラ店が出来、百貨店「高島屋」の直営で「高島屋カローラ」も出来1980年代までカローラ店を運営、更に1969年に玉川高島屋は将来のモータリゼーションを見据えて郊外に大きな駐車場を持つ店舗を展開、当時は二子玉川は郊外だったので、郊外型ショッピングセンターの老舗

サニー対カローラ
カローラのキャッチフレーズはサ二-が1000㏄だったにカローラは1100㏄で「100㏄の余裕」自動車税は1000㏄を超えないサニーの方が若干安かった、自動車税がが少々サニーより高くても100ccの余裕のカローラが技有りで販売勝負はややカローラが優勢、2代目サニーアヒルを抱いた子供が「隣の車が小さく見えま~す」2代目カローラは「大変だ 大変だ」 アヒルが逃げるCF

1967年 トヨタ2000GT 発売 何故かホイルが鉄製以外のマグネシウムを装着し発売が運輸省から認可されていた(この車以降1970年後半まで自動車の鉄以外の材質のホイルは装着禁止、この車が出て慌て鉄以外のホイルを運輸省は禁止したかも、車には規制が多い)、どこを取っても素晴らしい車だがミッションは世界標準以下と評された、M型エンジン・ブロックに耐久性の問題も有った1981年ソアラの5Mエンジンまで続くM型エンジンは同じ状況
この頃のトヨタ車のミッション・シンクロは良くなかった、特に2速ギアのシンクロは直ぐに摩耗してシフト時にギア鳴り、2代目のマークⅡGSSの5速マニュアル、トランス・ミッションは日産が早くから採用していたポルシェ・シンクロ採用、後にトヨタはアメリカのミッションメーカーのボルグ・ワーナー社とアイシン・ワーナー社を設立この設立はボルグ・ワーナー製のオートマチック・トランス・ミッションを採用していた他国産メーカーには一大事だった
トヨタ2000GTの海外でのオークション落札価格は7000万円以上、最高で1億円近くで落札記録も有り

1967年 R/E コスモ・スポーツ 発売 アルミホイルはオプションでも設定無し鉄ホイル

1967年 ホンダ N360 発売 最終時のN360 タウン・シリーズにはクーラーがオプションで装着できた、エンジン回転で1500回転位ではクーラーのコンプレッサーを作動させるのにパワー不足でエンスト、そのためクーラー・コンプレッサーがエンジン回転に応じてリレーでオン/オフされていたので停車時はクーラー冷えず、この頃は排気量の小さい車は殆どの車がこういった状態、しかし一般家庭の冷房は大金持ちの家にしかなかった時代、官公庁や大会社もまだまだ扇風機を使用していた
N360を若者がシャコタン(ローダウン)にしたり、グリルを外したりマフラーのサイレンサーを外したりと改造が一般的になった、「東京堂」というショップが有名だった、N360は若者文化に大きな影響を与えた車の1台、公道レースは神宮外苑の周回道路がサーキット、

1967年頃 オペル 1965年から放映されたテレビドラマ ザ・ガードマンでオペル・レコルトCが劇中に使用され話題になり、ドイツ車としてはメルセデスベンツ(この頃はベンツ氏が自動車を発明したのは知っていたがメルセデスベンツがどんな形の車か一部の人しか知らなかった)やBMWより有名になった、僕も1970年代前半に中古車で立川の自称ヤクザ屋さんにお買い上げ頂きました、ちなみに2ドアクーペでクーラーも付いていてリア・ウイングも装着したカッコイイ車で走っても良い車でやはりこの頃の外車は日本車を超えていた、僕はレコルトではなくレコードと言っていた

1967年 クラウン 3代目クラウン キャッチコピー「白いクラウン」で社用車からオーナーカーのイメージ転換、クーラーはオプションで装着、パワーステアリング、パワーウインドー装着は一部のグレイドのみ、1968年に2ドア・ハードトップ発売

1967年 IC電卓 シャープ

1968年 #C10 スカイライン(ハコスカ)発売 オプションでクーラー有り、パワーウインドウーはマイナー・チェンジ後のGT-Xに装着、ハコスカ時代にはパワーステアリング装着車無し、有ったとすれば後付け改造、ホイルはGT-Rでも鉄ホイル、当時の運輸省の規制は厳しかった

1968年 東名高速開通

1969年 東名高速前線開通(首都高速とは1971年に接続)

1969年 映画「栄光への5000キロ」公開 石原プロモーション製作 石原裕次郎主演 サファリラリーをメイン舞台にした510ブルーバードとフォード・エスコートが活躍する映画、その後石原プロモーションは1979年TVドラマ「西部警察」で数々のカー・スタント・アクションを見せ、更にガゼールをオープンカーに改造や130型フェアレディZをガルイングに改造し劇中で使用する等、自動車ファンを楽しませ日産車の人気アップに大貢献

1969年 ホンダCB750登場 バイク史上有名な「ナナハン」

1969年 S30 フェアレディZ 発売 エアコン(クーラー)オプション パワステ、パワーウインドーはオプション設定も無、末期のS31型にはパワーウインドー設定車有 グレイドがZ-T、北米仕様の240Zも同じ、HS30型最終の280Zになってからエアコンの装着が多くなっってきた、日本も北米仕様もS130型になってから4輪ディスク・ブレーキ、エアコン、パワステ、パワーウインド-が装着された車が普通になったアルミも標準装備やオプションに、国内仕様は280Z-Tがアルミホイル、パワステ、パワーウインドー付きでエアコンはオプション?、それ以外のグレードはアルミホイル、パワステ、パワウインドー、エアコンはオプションだったような気がします、S130型を初めて運転した時にブレーキの効きがよく後ろから引っ張て止めてもらっているような感じでブレーキング時の安定感も抜群で僕に取っては衝撃的な出来事

1969年 アポロ11号が人類初の月着陸

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