自動車製造関連年表 1970年-1979年

リムジン
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--1970年代--

大気汚染対策が問題になり自動車排出ガス規制が施行、中東戦争勃発でオイルショックと暗い時期も有ったが、「サーキットの狼」のスーパー・カー・ブーム、ツナギを着たグループがヒット曲を連発、「中央フリーウエイ」「プレイバック・パート2」が車に関連した曲で大ヒット、1980年代に車が若者に人気となる下地となった


1970年 筑波サーキット開設

1970年 アメリカ大気浄化法改正法 通称マスキー法、施行は数回延期、カリフォルニア州が最初にマスキー法を施行その他の州は徐々に追随し全米で施行されたのは1995年

1970年 TA22型セリカ発売 フルチョイスなるシステムを導入、まずはETは白ガラスで青みががっていない昔風に言えばスタンダード仕様 LT STをチョイス、エンジンは1400㏄か1600㏄のワンキャブかツインキャブをチョイス(DOHCはGTのみの設定で選べない)、ミッションはオートマ、4速マニュアルミッションか5速マニュアルミッション等をチョイスし自分の好みの仕様にするというシステム、GTには選択の余地がなくDOHC1600㏄、5速マニュアルミッション、フルチョイスシステムは何時かしら消えていた

1970年 A53C型ギャランGTO発売 MⅠ MⅡ MR MRはDOHC1600ccでコルトF2レーシングカー用のエンジンのデチューンと言われていた、確かにエンジンの吹き上がりが速く驚いたが実際に運転したことが無く後悔の1台、その後三菱ディーラーにお付き合いで1973年GSRのオーバーフェンダー付きを購入1年程使用

1970年 いざなぎ景気終焉 1965年(昭和40年)11月から1970年(昭和45年)7月までの57か月間続いた高度経済成長時代の好景気の通称

1971年 オーストラリア・クライスラー センチュリーやプレジデントの対抗車でオーストラリア・クライスラーの大型4ドア318と2ドアチャージャー770を販売、1990年代に三菱はオーストラリア三菱のディアマンテ・ワゴンを輸入販売人気を集めた

1971年 オーストラリア・GMホールデン センチュリーやプレジデントの対抗車でいすゞはオーストラリア・ホールデンのステーツマンデビルを発売

1971年 為替変動制に移行

1972年 沖縄返還

1972年 TE27型 カローラ―・レビン/スプリンター・トレノ登場  1600cc DOHCエンジン搭載 オーバーフェンダー標準装着

1972年 110型 ケントとメリーのスカイライン登場 通称ケンメリ 130型ローレルも同時に登場、ケンメリのCMのバック・グランド・ミュージックは愛のスカイライン、愛のスカイラインはハコスカのキャッチコピー、S54スカGTは丸だったが、GC10ハコスカGTのテールランプはヨコ型で丸ではなかった、何時からスカイラインGTは丸テールと言われるようになっのか僕のスカイラインGTの2つの謎、丸テールが印象に残っているのはCMでも有名だった「音も無く抜き去って行く丸いテールランプの車をご存知ですか」のファミリア・ロータリーか古い三菱コルトです、大型ダンプカーがケンメリの丸テールランプもしくは似たような形の丸テールに交換装着していたのはよく見かけました
エアコンと呼べる冷暖房になった、都市部では渋滞が発生が日常的になり都市部では国産車でもボチボチ冷房の装着が普及し始めた、更にタクシーには「冷房付」のステッカーも目立つようになった、僕の1973年ギャランGTO GSRにエアコンは装着していなかった、GTやスポーツカーはパワーが落ちるので冷房は邪道、いまでも守ってエアコンはオフで走っています
日産は排出ガス対策にNAPPSなるシステムで対応したがスカイラインGTのパワーダウンしセリカGTのCMで「名ばかりのGTは道を開けろ」と揶揄された、バックミュージックはギターイントロが印象的なローリング・ストーンズのサティズファクション、後に日産が180SXのCMでヴァニラ・ファッジのこれもギター・イントロが印象的なユー・キープ・ミー・ハンギン・オンを使用、「名ばかりのGTは道を開けろ」のCMの鬱憤晴らしかと思いました
排出ガス対策はエンジン回転はスムースでパワーダウンもトヨタTTCシステムの方が少なかった、三元触媒が開発されてからは排出ガス対策によるパワーロスは各社同じ状態になりエンジン回転の上がり下がりもスムースになった
スカイラインとセリカは農家が子供を跡継ぎにさせる餌にも使用され、後を継いだらスカイラインかセリカを買ってやるという条件で農家の後継者になった方も大勢、現在後継者で悩んでいる方はこの年代

1972年 日本車メーカーのホンダが通称マスキー法を世界で最初にCVCCエンジン開発しクリア、試験車両シビック、アメリカのメーカーは小型だからクリア出来たと苦言、これに対しホンダはシボレーインパラでエンジンをCVCCに改造し排出ガス検査をクリア

1973年 昭和48年度排出ガス規制施行 日産の話ですがSUキャブの形も変わり性能がかなり悪化

1973年 第四次中東の戦争勃発、オイルショックで翌年までガソリンスタンドでは給油量制限、暖房用灯油も売り惜しみで価格も高騰、家庭の日用必需品の石油関連商品も高騰し品薄状況、更に市場から消えると噂になり洗剤・トイレットペーパーの買いだめが世間の風潮に、燃費の悪いアメリカ車は殆ど売れない状況になりアメリカ車離れを起こす一つの原因となった、アメリカでは給油待ちトラブルで殺人も発生

1974年 昭和49年度排出ガス規制施行

1974年 石油価格高騰 新車価格も値上、建築資材等も値上り傾向、田中角栄氏の日本列島改造論、悪名高きグリーンピアも田中角栄内閣の計画の元で、厚生省(現・厚生労働省)が被保険者、年金受給者等のための保養施設を旧年金福祉事業団(年金資金運用基金)が、1980年(昭和55年)から1988年(昭和63年)にかけて、日本全国に13ヶ所設置、これより先に民間動産会社等はリーゾト施設を開発し会員権発売等不動産ブーム破綻で景気失速、バブルという呼び方が有ればこの時期も「バブル崩壊」1976年は就職難も有り景気低迷は1980代の中半まで続いていた、いざなぎ景気終焉は1970年と経済界では言われているが一般消費経済は1974年より下降

1974年 企業爆破事件発生 8月30日三菱重工「狼」班による丸の内の三菱重工ビルを爆破、8名が死亡、385人が重軽傷、、海外からのテロリストの犯行ではなく日本人による爆破テロ、1975年5月にかけて企業が連続爆破された

1974年 ジェミニ発売 オペル・カデットがベースでアクセルペダル等が若干左よりオフセット、ステアリングもやや斜めと言った方がいて、その後に運転しなるほどと納得したのは催眠効果?、1979年にDOHCのZZを発売 国内ラリー車として活躍の時期も有った

1974年 ダウンタン・ブギウギ・バンドがツナギを着て「スモーキン ブギ」1975年には「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」とヒット曲を連発、ツナギ・ファッションと「あんた、あの娘のなんなのさ」が大流行

1975年 昭和50年度排出ガス規制施行

1975年 「サーキットの狼」 漫画家池沢さとし氏の作品が大ヒットしスーパー・カー・ブーム、岩下レーシングのスーパー・カーのポスターが大人気、日曜日は親子同伴の小学生や中学生が甲州街道や環八沿いの外車販売店のにスーパー・カー見学のため京王線の仙川駅か国領駅で降りて徒歩で甲州街道から環八の外車ショールーム散策、一部外車販売店はショールームを有料入場にしたが有料でも近くでスーパーカーを観られて小中学生は嬉しかったでしょう、排出ガス規制、オイルショックと自動車業界は暗い話題が多かったがやっと明るい話題、この頃の小学生や中学生の方が1980年代のチューンド・カー時代を築いたヒーロー、最近も車に興味のある小中学生は見かけないので10年先の自動車業界も現在同様で若者は車を趣味とはせずに必需品として使用

1976年 アコード発売 初代アコードはEXにパワーステアリングが標準装着、それまでプレジデント、センチュリー等一部の車種だったが、アコード以降、4気筒車にも標準装備されて行った

1976年 昭和51年度排出ガス規制施行

1975年 ロード・ペーサーAP センチュリーやプレジデントの対抗車、オーストラリア・GMホールデン社の車に13Bエンジンを搭載した大型車4ドア車「ロード・ペーサー」を発売、これは運転したことが有るがさすがにボディが重くて13Bロータリーエンジンでは力不足で遅かったが室内の静観性は当時のセンチュリーやプレジデントより優れていたように思う

1976年 F1世界選手権イン・ジャパン 優勝自動車:ロータス・フォード 優勝者:マリオ・アンドレッティ氏(1966年の富士インディ200マイルにも参戦、佐藤琢磨選手が優勝した2017年インディ500マイルのチームオーナーはマリオ氏のご子息マイケル・アンドレッティ氏、アンドレッティ一族は日本と縁があります)

1976年 「中央フリーウエイ」 松任谷由実さんの名曲、彼女とデートで「中央フリーウエイ」をバック・ミュージックで聴きながら中央高速をドライブしたいと、車を購入される方もいらっしゃったくらいに自動車の販売や自動車のイメージアップに貢献した曲です、歌詞に「方で持つハンドル、片手で肩を抱いて」はオート・マチック・トランス・ミッション車、「愛していると言っても聞こえない、風が強くて」はオープン・タイプ車、タイトルの「フリーウエイ」はアメリカを想像させるので、歌詞のイメージのドライブ中の車はフォードの初代「マスタング・コンパーチブル」と想像します

1976年 ロッキード事件 (昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件、田中角栄氏・小佐野賢治氏・児玉誉士夫氏等が関わったとされ、関係者の不可解な死も有った完全解明されていない事件、ロッキード社の「ピーナツ」「ピーシーズ」の暗号めいた言葉が少し流行、ピーナツ1個は1憶円の賄賂と言われていました、更に国会証人喚問での小佐野賢治氏の「記憶にございません」も流行語になり「記憶にございません」は現在も国会等でも使用される便利な言葉になった

1978年 「プレイバック パート2」 山口百恵さんが歌った曲の歌詞「緑の中を走り抜けていく真っ赤なポルシェ」はレースファンやスーパーカーフアンにはお馴染みの車だったが、この曲の歌詞で「ポルシェ」が一般の方にも浸透しポルシェはスポーツカーの代名詞に、このポルシェが911か914なのか924なのか当時話題になったが不明

1978年 昭和53年度排出ガス規制施行

1978年 サバンナRX-7発売 リトラクタブル・ヘッドライト採用

1978年 ミラージュ発売 黄色いミラージュ流行、なぜか黄色いジェミニ、黄色いミラージュ、サバンナRX-7も黄色が人気だったが、この車種以降黄色は不人気色となった

1979年 アルト登場 軽自動車は1970年中半に車検制度実施や排出ガス規制で販売が低迷状態だったがアルトで軽自動車人気復活、アルトは販売価格を1000円でも安く販売するため物品税が課税されない40ナンバーの貨物車ライトバンとして登場、他社も40ナンバーで軽を販売そのため政府は軽自動車貨物にも物品税を課税、1989年に消費税が導入され物品税が撤廃されるまで軽自動車は殆どが40ナンバー車で発売したが物品税が撤廃で貨物も乗用も3%のため軽自動車も乗用の50ナンバーへ移行し後ろの席が少し楽になった
参考:乗用と貨物ライトバンの違いは室内の広さで乗員のスペースが大きいと乗用、貨物の方が広いと貨物ライトバンになります、したがって後席の背もたれが直角なのが貨物ライトバンで後ろに傾斜があり座って楽だと思うのが50ナンバーの乗用、貨物ライトバンは荷台のサイドガラスには荷物による破損防止バーが取付られています更にタイヤとホイルは貨物用を使用するためタイヤやホイルを買い替える時の選択幅が少ないのが難点(今は不要な知識)
アルトのCMキャラクターは当時絶大な人気のモデル「小林麻美」さん、軽自動車とはかけ離れたイメージのモデルさんだったが女性に受け、アルトは働く女性の通勤クルマで人気、ダイハツもミラ投入で「現代は白いミラに乗って王子様を探し行く」というようなキャッチコピーで大ヒット、室内の広さや安全性を売りにしている現在のCMと違い、なんとなく夢の有った軽自動車のCMでした

1979年 オートラマ店 フォード車のマツダ系販売店、オートラマ店は「カスタマイズ」なる新語を生み出した、車を自分なりに個性的にドレスアップして乗ろうという発想、後のエアロブーム等、自動車販売では1986年に日本フォードの「フェスティバ」がヒット車、特に電動キャンバストップ付きが人気、その後日本フォード車のヒットはないがUSAフォードのトーラスワゴンがヒット、エクスプローラーも少し人気、現在は名称消滅

1979年 大学共通一次試験実施

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