自動車製造関連年表 1980年-1989年

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--1980年代--

この年代のキーワードはエアロ・パーツ、チューンド・カー、ターボ、ハイソカー、自動車メーカーは排出ガス対策を行っても高性能な自動車を製造販売可能になった時期でもあり、国産高性能車はリミッター解除すれば時速200kmを超える車が発売され誰でも簡単に入手可能に、バブルは1980年代後半からだが1970年代後半から車にお金をかけていて、公道でのゼロヨン大会も毎週末どこかで行われていたピークが1980年代


1980年 5代目ファミリア登場 赤色の1500XGのサンルーフ付きが人気、マツダ創業以来の大ヒットで納車は最低1か月以上待ちが常識だった時期も、ニュー・ファミリーなる言葉もこの頃に出来、ニュー・ファミリーは赤いファミリアでファミリー・レストランに食事へ行くのが流行り、更にこの車のエアロパーツ「ラブ・ラーク」製が大ヒット、一般自動車ユーザーが国産車にエアロ・パーツ装着が流行になって行った、噂では製作した会社は小さな町工場で、毎朝送られてくる現金書留の山に驚き恐怖すら覚えたそうです、当時はまだ一般の方は金融機関での送金といのは慣れていなかった時代、羨ましい話です、更にトヨタはファミリアのヒットでそっくりなカローラ―Ⅱを急遽発売、ファミリアの真似といってもファミリア自体ゴルフⅠの真似と言われていました、ファミリアの発売でヤナセでゴルフの売り上げが落ちたいう噂も有った、ファミリア前期モデルはエアコンらしき冷房はオプションで有ったがパワーウインドウとパワステは後期モデルからだったような気がします、しかも電子制御フェル・インジェクションも後期型の一部XG-I、前期モデルはまだ国産車のドアミラー装着は不可だったのでフェンダー・ミラーだったが多くのユーザーは不正改造だがドアミラーに変更して乗っていた、この頃は国産車は60タイヤも装着も不正改造、もっとも1970年中半まで国産車は70ラジアルタイヤもアルミホイルも使用不可の時期も有り車検の度にアルミホイルを鉄ホイルに付け替える作業をしていました、60才以下の方は知らないと思いますが本当の事です

1980年 アウディ・クワトロ 1980年11月にヨーロッパで発売 それまでの四輪駆動は悪路走破の為の四輪駆動だったがこの車はどんな道路状態でもパワーを確実に路面の伝えるために開発された、センターデフ付きの四輪駆動、WRCラリーで大活躍、この四輪駆動をフルタイム4WD、オールホイルドライブ(AWD)とか呼ばれ、後に多くの車で採用された、日産も一時MID-4なるミッド・シップ・スポーツ・カーを開発したが市販には至らなかった、開発テストドライバーさんのお話では200馬力を2輪で片側1輪が100馬力より4輪にパワーを配分する方が扱いやすいくオール・ホイル・ドライブは良いと話していました、その後GTRは4WDで復活

1980年 GX51 クレスタ登場 1Gエンジン(排出ガス規制以降でエンジンの回転の上がり下がりがスムーズだと感じ衝撃的なエンジンでした、デンソーの電子制御インジェクション・システムが特に優れていてこの後トヨタ自動車の開発に大きな権限をもつようになったと聞いたことがあるが事実かどうかは不明、デンソーの技術は確かに向上、プラグもNGKが最高とされいたが近年はデンソー)

1980年 レパード登場 パワステ・パワーウインドー・エアコン装備、フェンダーミラーの水滴除去装置等エレクトリクス技術を結集した車とか広告していた、光ファイバーも使用していた記憶があります、「危ない刑事」は2代目レパード

1980年 6代目 DR30型 スカイライン登場 「ニューマン・スカイライン」 キャッチ・フレーズのニューマンはアメリの有名な俳優で映画製作のためにレーシング・スクールに入校しレースに熱中、レーサーになったアメリカの大俳優ポール・ニューマン氏でルマン24時間で2位入賞やアメリカ国内ではボブ・シャープ・レーシング・ダットサン240Z等で大活躍した方
6代目スカライライン最速バージョンはFJ20インタークラー・ターボ車 RS-Xインタークラー、国内レースでは長谷見氏(ハセミ・モーター・スポーツ)のトミカ・スカイライン・シルエット・フォミラーでレース場にスカイラインが復帰、プリンス販売店がプリンス・デーラーズ・クラブ通称PDCのスッテカーのレース活動募金を行い募金者にスッテカーをプレゼント、シルエット・フォミラーのカテゴリーには星野氏はシルビア(ホシノ・インパルデザインのホイルを装着、市販も行っていてインパル・ホイルは大人気)、柳田氏(親子2代でフェアレディZでのレース活動で有名、ショップは中央高速調布インター側に「セントラル20」)はフェアレディZが室内の面積が小さくレギュレーションに合わないためブルーバードで参戦
シルエット・フォミュラーのボディスタイル改造に影響を受けた「竹やり出っ歯」改造が増え元旦の初日の出暴走等、迷惑行為続出で世間を騒がせた、自動車雑誌は「竹やり出っ歯」を取り上げた「ホリデー・オート」「ヤング・オート」が人気、5~6年後に、VIPカーなるクラウン、マークⅡ、セドリック/グロリア等4ドアハードトップの車高を下げた車を「竹やり出っ歯」に改造、VIPカーなる自動車雑誌も登場、一般社会では嫌われていたが、今なら外国人が「タケヤ~リ・デッパ~」イズ・ベリ・ワンダフル・ベリ・エキサイティングと言いそう、「竹やり出っ歯」も日本の若者自動車文化この流行が下火になり徐々に若者の自動車離れが始まり、これ以降の最近の若者流行は極一部のマニアの「ドリフト」

1980年「なんとなく、クリスタル」 田中康夫氏の小説 クリスタル族、ブランド品、小説の影響でブランド志向が強くなりメルセデスベンツ、BMW等の特にドイツ車名称が世間一般にも浸透、BMWが現在のような人気を得たのは1984年以降、国産車ではランサー・ニナ・リッチ仕様、フォード・レーザー・ギア・ソニア・リキエル仕様、ゴルフ愛好家向きにはゴールデン・ベアのジャック・ニクラウス名を冠したグロリア・ジャック・ニクラウス・バージョンが登場した
漫画や小説の影響でその商品に憧れをもちながらも現在は年齢が若く購入出来ないが憧れを持ち続け、憧れの商品を購入できる年齢と収入に届いた時に有名でも売れ行きが鈍かった商品もある日突然爆発的に売れるのかも
1980年後半は日本経済はバブルへ突入、ブランド品以外には目もくれない時代が訪れた、1990年中半にバブルは崩壊

1981年 ソアラ登場 一部車種にデジタルメーター仕様、サンルーフ付きが人気、パワステ・パワーウインドー・エアコン装備、国産車ハイソカーの頂点に君臨、色はトップグレイドは2800GTで金茶のツートンだったが、2000㏄に採用されていた、スーパーホワイトが流行、車が 「ライトが点いています」 「ドアが開いています」 「ガソリンが少くなっています」と喋るスピーキングモニターのお節介装着モデルもあった
1984年モデル北米仕様ニッサン300ZXを輸入したことが有りますが、喋ったが当然英語で「フェル・イズ・ロー」とか警告してくれた

1982年 2代目プレリュード登場 サンルーフ付きが人気、パワステ・パワーウインドー・エアコン装備 ハイソカーという呼び方が誕生したのもこの頃だった

1982年 メルセデスベンツ190登場 5ナンバー小型乗用車 子ベンツのと称されていた時期が有った、山の手のヤング・ミセス(ミッシーなる造語もこの頃?)は赤いメルセデスベンツ190を運転して玉川高島屋でお買い物、
後に発売される、ツインカムエンジン搭載のスポーツバージョン 190-2.3 16V、190-2.5 16Vは旧車人気で価格急騰

1982年 日産プレーリー登場 RV車 現在ならミニ・バン パワステ・パワーウインドー・エアコン等をオプション装備

1982年 60タイヤ認可

1983年 ファミリーコンピュータ発売

1983年 BMW 2代目3シリーズ 一部のマニアの車だったBMWを一躍メジャーにしBMWの名前が浸透、ブランド志向で3シリーズ売れ行きは好調で六本木界隈を数多くの3シリーズが走り回り通称「六本木カローラ」と呼ばれた時期も有った、1987年に発売されたBMWF-2用エンジンをデチューンし搭載ブリスターフェンダーのM-3は旧車人気で価格急騰海外で現在は800万~1000万円
更に外車のチューニングメーカーのハルトゲ、シュニッツアー、アルピナ、ロリンザー、エッティンガー、アブト、クレーマー等も有名になり、更にコニー、ビルシュタイン、レカロ等のパーツもメジャーになり、後年国産メーカーでもレカロを装着した特別仕様やビルシュタインを標準装着したモデルも発売

1983年度 国産車ドアミラー装着解禁 使用過程車の車検期限2年は新車から10年目迄、その後は車検有効期限1年、これが解除され車検期限2年

1983年 AE86 レビン/トレノ発売、前年国産車もドアミラー装着が認可になったのでドアミラーが標準、一部にフェンダーミラーがオプションで有ったかも、パワステ・パワーウインドー・エアコン・アルミホイル等をオプション装備、この頃はハードなスポーツGTタイプでもエアコン装備は邪道とは言われなくなっていました、土屋圭市氏出演のビデオ「ザ・峠」の主演車、漫画イニシャルDの主人公の愛車

1983年 ハイラックス・サーフ登場 RV車 現在ならSUV

1983年 三菱シャリオ発売 RV車 北米ではコルト・ビスタでミニ・バン

1983年 ダッジ・キャラバン(USA)発売 現在のミニ・バンという名称を生み出した車でアメリカで大成功を収めた車、それまで赤字だったクライスラーの経営を黒字に転換させた車で構想はファード・マスタング、フォード・フェイスタの生み親と呼ばれるリー・アイアコッカ氏、アイアコッカ氏はフォードからクライスラーへ移籍後にキャラバンを製造、元々ミニバン構想はフォード時代の構想でフォードでも取り上げられていたらしいのでアイアコッカ氏は情報持ち出しとか秘密持ち出しとかの罪に問われなかったのか気になります、日本ならトヨタの社長が日産の社長になったという形になります、さすがに自由の国・大人の国アメリカです、パワートレインは三菱ギャランがベース、日本ではミニ・バンはアストロが中古車並行で売れていてアメリカでも人気と思わていましたが、アメリカではアストロ/GMCサファリよりダッジ・キャラバン/プリムス・ボイジャーの方が人気で売れてました、アストロ/サファリはFR ダッジ・キャラバン/プリムス・ボイジャーはFF

1983年 第一回 東京エキサイティング・カーショー開催 現在の東京オートサロン、自動車雑誌「オプション」「カーボーイ」等が人気、矢田部最高速テストやゼロ・ヨン等が話題になっていた

1984年 「違いの分かる男」 ネスカフェのコーヒーCMにレーシングカー・デザイナーの「風の見える男」由良拓也氏出演、当時の人気レース、グランド・チャンピオン・シリーズでは由良拓也氏のデザインするムーンクラフト製のカウルでなければ勝つことができなくなりムーン・クラフトのワンメイクレースとも言われたほど空力に優れ「風の見える男」と呼ばれるようになった、マツダがル・マンに参戦しクラス優勝したマツダ717Cは由良拓也氏のデザイン

1984年 ホンダ F1 アメリカGP ウイリアムズ・ホンダ FW09優勝、ホンダエンジンは17年ぶりの勝利、優勝マシンが翌年の第三回東京エキサイティング・カーショーの展示されたのには驚きました、僕は開催日前夜に撮影のお手伝いで、手が触れられるくらいの距離で拝見させて頂きました感激!

1984年 NAVI-5 いすゞアスカに搭載、2ペダル(アクセルとブレーキ)でクラッチペダルがない、コンピュターでクラッチとミッション操作を行うトランスミッション

1985年 「スーパーマリオ」登場 ファミリーコンピュータ-のゲームソフト

1985年 プラザ合意 ドル安

1985年 7代目 7th スカイライン登場 6気筒DOHC 24VエンジンRB型エンジン搭載、ハイキャスを装着、2ドアHTは1986年から、1987年「2ドアスポーツクーペGTS-R」を800台限定 1988年「GTSオーテックバージョン」が登場(限定200台)

1985年 レース会でレイトン・ハウスが話題にレイトン・ハウスはバブルの象徴の一つだったディスコ「トゥーリア」を六本木で営業していた丸昌興産が運営、「レイトン・ブルー」は目立っていました、レース会では実態が知られていない存在でレース関係者にレイトンハウスはどういう会社かと聞かれたことがあります(バブルがまだ日本中に起る以前だったので丸昌興産レイトンハウスは認知度は低かった)、1990年F1日本グランプリではレイトンハウス・ジャッドが一時トップに上がった、このレースでは鈴木亜久里氏がラルース・ランボルギーで3位入賞と二度嬉しいビックリ

1986年 ポルシェ959限定発売 ディーラー価格は不明5000万円前後?、1億円のプレミアムが付いていたがカルフォルニア州の排出ガス規制をクリアできず販売出来ない車が日本へ並行輸入され値崩れ

1987年 B-1 登場 日産のレトロカー路線第一弾で限定発売、購入して直ぐに業者間オークションに出品され、落札された価格が330万円(万単位は忘れました)、新車の約4倍、ちなみにボデイカラーはパンプキン・イエローでエアコンは付いていなかった、通称バブルカー、B-1は現在は旧車人気はいまいちで価格はあまい高くない車、この後に出るレトロ・シリーズのフィガロは異常な旧車人気、以前から海外で人気が有ったがアメリカの一部の州以外は25年経過車はボディ安全基準・排出ガス規制が緩和され、輸入が可能になりアメリカバイヤーが買い漁り、アメリカ・ヴァージニア州のクラシック・カー・ショップは100台ものフィガロをストックしています、他にも日本車の消防車も日本のオークションで買い集めストック、嬉くも思うがなんとなく日本の業者として情けない、カプチーノも25年落ちが多くなってこれも買い漁り状態、あまり凄いので日産エスカルゴがオークションに出品されていたので買うんですかとメールしたら、競りが終ったら、エスカルゴはこの価格で落ちたよと返事が有りとても楽しい業者さんです

1987年 パジェロ登場 発売当時は一部マニアに受けた程度だったが徐々に人気が上がり、2代目パジェロはRV人気でデリカワゴン4×4やRVRと共に大人気でRVと言えば三菱という時期も有ったが、今は寂しい限り

1987年 フェラーリF40発売 ディーラー価格で4650万円、1億円のプレミアムが付いていたが、ポルシェ959と同じくカルフォルニア州の排出ガス規制をクリアできず販売出来ない車が日本へ並行輸入され値崩れ
F-40が現在アメリカやフランスのオークションで1億3千万円~1億6千万円前後で落札されています

1987年 ミニ四駆 第一次ミニ四駆ブーム

1987年 映画「私をスキーに連れてって」 スキーブームが絶頂期に向かい、ハイラックスサーフ、パジェロ、レガシーの4×4の人気も急上昇、映画の挿入曲は松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」「サーフ天国、スキー天国」
松任谷由実さんは1970年代は「中央フリーウエイ」で自動車の売り上に貢献、1980年代は4×4人気に貢献、ご主人はカーグラTV等で車関係に携わっているが奥様の方が自動車売り上げや人気への貢献度は高いように思えます

1987年 ブラック・マンディ 1987年10月19日(月曜日)にニューヨーク証券取引所を発端に起こった、史上最大規模の世界的株価大暴落、現アメリカ大統領ドナルド・トランプ氏の会社が破綻したのもこの頃、アメリカは景気低迷が続くが日本はバブル状態でアメリカのハワイのホテル買い漁り、ティファニー本店ビル等を買い漁り「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なる言葉も

1988年 「24時間戦えますか」 三共製薬のスタミナドリンク「リゲイン」のコマーシャルソングの歌詞の一部が流行、現在なら放映禁止かも、中外製薬のグロンサンは「5時から男」で対抗、早く退社して消費拡大しようでこちらの方が現代にマッチ?

1988年 5代目S13型 シルビア発売

1988年 フォード・トーラス・ワゴン発売 1970年代のアメ車の乗っているはヤクザのイメージが忘れられ、発売当初はあまり売れなかったが1989年に税改正が行われてからはアメ車の復活を思わせた車だったが、1992年以降に中古車並行のアストロバン、カプリスローライダー、C1500と人気を呼び売れてはいたが一般人にはイメージ・ダウンしアメ車の人気はごく一部となってしまった、アメ車のイメージ ホットロッド、ロックンロール、リーゼントならまだ良いが、不正8ナンバー登録、ベタベタの車高下げ、ノーサス、跳ねる車ではアメ車にとって最悪のイメージ

1988年 シーマ バブルの象徴車でシーマ現象なる言葉も、セドリック・シーマにグロリア・シーマだったが一色単にシーマ

1988年8月 マーチ・スーパー・ターボ登場 ターボとスーパー・チャージャーの異なるタイプの過給機を2つ搭載し感激させた、スターレット・ターボやパルサー・ターボ等1500cc以下の排気量でハイパワー、走りの機敏な車を「ボーイズ・レーサー」と呼んだ

1889年 消費税が導入され物品税が廃止、普通自動車は23%の税金が消費税の6%(一般消費税は3%だが新車及び登録より1年以内の中古車に限り6%)、自動車税も細分化され2000㏄を超える車が買い安くなった、更に自動車の大きさによる自動車税課税が撤廃されエンジン排気量のみでの課税基準となった、以前アウディにエンジンは1800ccだが車幅が170cmを超えていたため自動車税年額81000円の車種が有った、軽自動車はこれまで物品税の安い40ナンバーの貨物での登録が殆どだったが物品税廃止で乗用車として発売するようになった、スズキの大ヒット車アルトは40ナンバーの貨物ライトバン登録だった

1989年 セルシオ発売 バブルの影響も有りCタイプの新車価格800万円以上の高額にも拘わらず納車半年から1年待ち

1989年 レガシー発売 ステーション・ワゴンの人気を作った国産車、レガシーはセダンよりワゴンの方が売れ、セダンはワゴンより売れるという過去の常識を覆した車、輸入車ではもちろんボルボはワゴンが常識だったが、ボルボも1970代は122アマゾンや144、164、240、244、とセダンが主流、240ステーションが横文字稼業者に人気、僕が初めて運転したボルボはアマゾンのセダン、2年間乗ったのは164セダン、後にCVTミッションの基本特許使用に関連してスバル・ディーラーでボルボが販売されたと僕は推測しています、最近のスバルは「自動車ユーザーは安全にはお金を支払う」というボルボのポリシーにも影響を受けたと感じます
このレガシー・ワゴン売り上げの多さに、トヨタはセダン仕様がないワゴン/バン専用カルディナを発売、以降カリーナやコロナにはバンもワゴンも消滅、日産はステージアを発売、スカイラインはバンもワゴンも消滅、現在は1990年代まで続いたセダンと同じような屋根の低いステー―ション・ワゴン・タイプ車はミニ・バンやSUVに需要が以降し多くがアメリカや日本では多くの車種が生産終了になっています

1989年 2代目ハイラックスサーフ登場 LN130 クロカン RV 4×4の人気の立役者 SUVという言葉はまだ日本では使われておらずアメリだけの言葉だったかも、ランドクルーザー、テラノ、パジェロ、ビックホーン等も人気で4×4 RV車が売れ、この頃は現在のようなミニ・バンは人気がなかったのでSUVの流行は日本が最初、ハリアー等SUVも人気だが現在の一番人気はミニ・バン、アメリカでは乗用目的のミニ・バンは絶滅にちかく人気はSUV特にピックアップ、フォードF150等のFシリーズは販売台数全米1位、Fシリーズはヨーロッパやアフリカ等でもディーゼル車が人気、もちろん海外生産しているハイラックス・ピックアップ・ディーゼルも大人気です、ランドクルーザーだけが人気ではありません

1989年 ベルリンの壁崩壊 東西ドイツに分かれていたドイツが統一へ

1989年 スカイラインGT-R 復活

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